(一)信仰の起源
芸術は宗教の母なりと言われているが、この宇宙を初め大自然界そのものが、偉大な予定調和した芸術そのものである。
星空や聳え立つ山々、樹齢何千年の樹木等を見て、そこに人間の力を遥かに超えた超自然的な力、或は宇宙の法則の様なものを見出して畏敬と崇高の念を人間は抱いていた。そういう目に見えぬ超越的なものを神と呼び、そこに信仰というものが生まれて来た。
宗教の「宗」という字は、「ウ冠に示す」と書かれ、又「おおもと」という意味があり、宇宙の 大夲を示す教えが、宗教の本来の意味である。
(二)信仰の変遷
時代の進展と共に、宇宙そのものの持つ超越的な力、法則よりも、それらを行とか啓示によって感応された教祖・開祖の偉大な働きそのものが信仰の対象になって来た。そして、遂に人間教祖が信仰の対象になり、果ては行き過ぎた個人 崇拝(現人神信仰)にまでなってしまった。信仰の対象が永遠不滅の真理法則(全智全能の神霊の意志)でなく、極端に美化された人間教祖への憧れ、又はその教祖の持つ奇跡や不思議な力によって 様々な苦しみ、不幸現象から逃れる為の自己中心(自己欲)の信仰に変わって来た。信仰がその本来の在り方から大きく 逸脱し、己の幸せを願い求める信仰へと姿を変えて来た。つまり、家内安全、商売繁盛、招福祈願等肉体中心の御利益信仰になってしまったのである。
人世三千年間に於ける今日迄の宗教は、神仏、先祖の道を説きながら実際は、人間同士が物を奪い合い、争い合って自らの力で滅んで行かない為の歯止めの教えであり、悪を懲らしめ善を勧める「勧善懲悪」は、倫理・道徳と同じ次元の心の働きであった。
(三)預言と実現
宗教の御用は、弥勒 菩薩下生・キリスト再臨 等の預言を示してきたのであり、それは 人世時代の物質文明が完成するまでの働きであった。 既に地上は20世紀の物質文明完成と共に人世は終わり、神人世を迎えて、大夲神流れに基づく預言を実現する使命を受けて大夲光之道は出現した。
先駆けの御用に終わりを告げ、地上天国の実現期は、昭和55年4月26日仏滅と示され、翌4月27日を神人世と明かされる。人世宗教の花が散り、実を結ぶ神人世の実現期・実相の時代を迎えたのが、昭和55年5月5日(日之出神人世)の「その日その時」であった。つまり、十聖神霊が時代時代に運ばれて来た 神霊の御意志が結ばれて実となっているのが大夲光之道である。これが、今尚一宗一派それぞれ単独で存在している宗教と、神流れで結ばれている大夲光之道の違いである。
(四)大夲光之道と宗教の違い(対比)
《大夲光之道》 |
《宗教》 |
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