(一)天地創造
体系神皇産霊之神の神策
太初、この世の初まりは、天も地も無く混沌とした「霊」のみの世界に、天地創造の神勅は発せられた。
その時より、10億年の歳月を経て、泥水・泥海の霊の世界から、軽いものは天に、重たいものは地に分離された。そして、その分離された地の球を修理固成する為に、主宰神として任命を受けたのが、国常立大神と云う神命の神であった。国常立大神を総大将として、その眷属神霊達の働きにより、更に、46億年と云う歳月を経て、地球は修理固成され、遂に山川草木禽獣虫魚に至るまでの生物が、生存でき得る環境が整えられた。
ここに於いて、初発の目的・地上天国建設の前段階へと神仕組は進展して行く事になる。
「天に成る如く 地に成らせ給え!」と願う神心は、神霊の体として立つべく「人」を産み出し、万物の長として、地上現界の完成へと進められて行った。
地上現界は、神霊の世界と違い、物質世界である為に人は肉体を保護し、維持する「物」を必要とし、原始人の如き穴居生活では地上天国とは言えず、その為に人をして人智によるところの物質発展の神仕組に着手する事になる。
これを「体系神皇産霊之神の神策」と言い、物質世界の岩戸開き、又は、第一の岩戸開きと言うのである。
霊系高皇産霊之神の神策
神霊界の側から言えば、岩戸閉めとなり、地の主宰神・国常立大神とその妻神・豊雲野大神は、日本国の東北と西南にそれぞれ隠退し、陰陽道や暦等で云う処の「鬼門」「裏鬼門」の金神として陰に回わり、又、眷属神霊も種々雑多の仏名に名を変えて、人間を守る事にしたのである。
神霊界と現界を遮断されし、人間「霊魂」の心の世界は、夜の暗闇となって真実を隠蔽されたまま肉体心が中心となり、その結果、体的自己防衛心の増長は、弱肉強食の世界を現出し、強い者勝ちの畜生、修羅道を邁進する事となるのである。
その結果、目に視えた物質文明は神霊の神策通り、飛躍的に発展して行ったのである。時節は更に進み、物質世界完成の時期が近づくにつれて、元の親神(主宰神)・国祖国常立大神は、再度神霊界の岩戸を開いて「霊界」「現界」と境の無い「神人世」を築く為、その神仕組に着手する事になる。
これを第二の岩戸開きと言い、「国祖大神三千年の神仕組」と言うのである。
(二)十聖神霊と大夲神流れ
人の幸せを物質の豊かさに求めて来たこれまでの時代は、人に備わった五官(目・耳・鼻・舌・身)は外流の世界に向けられ、その結果「物質文明」と言われるまでに物質の世界は解明され発展した。
一方、人の内なる内流の世界(霊魂の世界)は明かされぬまま神秘に閉ざされ、五官に触れ得ぬその世界は体の内奥で眠った如き状態のまま来たのである。
しかし、その霊魂が眠っていた夜の時代に大夲神霊(全智全能の神霊)より神命を受け、時代に応じて国々に十人の聖人聖者を遣わされて、自己欲に暴走する人間の精神を抑制し、真理伝達を神流れに流し続けられたのである。
それは大夲神霊の大精神を継承する流れであり、神命によりその流れの上に遣わされた聖人達を霊統者と言い、またその霊継の流れを大夲神流れと言うのである。
次に、その大夲神流れを順に記す。
大夲神霊(全智全能の神霊)
1.孔子《人の道》人間社会において、人として本来あるべき倫理・道徳を説く為に中国に立たれた聖人。「仁義礼智信・忠孝悌」の道を説く<儒教・論語>。
神霊の御名を「天帝」と唱えらる。
2.釈迦《仏の道》人間の親たる先祖代々の恩と徳を諭す為にインドに立たれた聖人。肉体の消滅した後も尚「霊魂不滅」なる仏界(霊界)の存在と、その大真理の法則を説く〈仏教・仏典〉。
神霊の御名を「大日如来・阿弥陀・観音」と唱えらる。
3.キリスト《神の道》人の世界、先祖の世界の奥に神霊の世界が在ることを伝える為にナザレに立たれた聖者。大神心を「神は愛なり光なり」と説く<基督教・聖書>。
神霊の御名を「天父・主神・エホバ」と唱えらる。
4.マホメット《順序を正す》人の道・先祖の道・神の道の順で説いた逆順を、神の道・先祖の道・人の道に正す為にメッカに立たれた聖者。両もろ刃の剣とコーランを以って「神は順序なり」の正道に戻す(回教・コーラン)。
神霊かみの御名を「アッラー」と唱えらる。
※以上、世界の四聖人は、国も時代も異なるが、神霊の世界においては霊的繋がりにより、夫々の神命を大夲神霊(全智全能の神霊)より受けて立たれた方々であり、その一人一人は駅伝走者が襷を渡す如く、孔子が釈迦に、釈迦がキリストに、キリストがマホメットへと神霊の御意志(襷)を受け継がれて来た。
これを霊統霊継と言い、その聖人を霊統者と言う。
※一方、表の人間世界は、自己中心の競争意識により科学や医学などの進歩向上なされて、物質文明の繁栄が築かれて来たが、その裏面に於いては神霊界の光と神智が神流れに運ばれて来ていたのである。
人間は、目に見え、手に触れる五官にかかる表世界の向上は良く理解出来るが、目に見えない霊魂の世界も共に進行(信仰)して来ていた事を知らなければならないのである。
※数千年の歳月を経て、神流れの仕組は、いよいよ元の親国・霊の本「日本」に運ばれ来て、次なる神流れの霊継がなされたのである。
5.中山美岐《神の道》天保9年、神霊の第一声を大和(天理)の国において、神がかりにより天の理を取次ぎ明かされた聖人。「このよふの ほんもとなるは どろのうみ もとなるかみは つきひさまなり」(天理おふでさきお歌より)神の大精神・大和魂を明かす<天理教・お筆先>。
神霊の御名を「天理王命」と唱えらる。
6.広池千九郎《先祖と人の道》人は全て霊長者たる品性の向上を急務とする地の理に基づく真理を説かれた聖人。先祖と人の両徳を説く<最高道徳・広池論文>。
神霊の御名を「唯一神」と唱えらる。
7.出口直《人民の改神》明治25年、丹波の国(綾部)において、神がかりにより国祖の大神の名を明かされた聖人(天父厳霊)。「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ。・・・・・・」(明治25年御筆先より)
神霊の御名を「艮の金神・国祖国常立尊」と明かさる。
8.出口王仁三郎《世の立替立直》言霊神也に基づき、霊統霊継の万聖一継を明かし、世界の思想統一を説かれた聖人(地の母瑞霊)。神界の「日の出」を告げる<大本教・霊界物語>。
地母の神霊の御名を「坤の金神・豊雲野尊」と明かさる。
※こうして、国祖国常立大神の仕組まれた三千年の経綸も、その元の神名を証すと共に、幕末から明治時代に霊の本・日本に運ばれて来た神流れは、目に見えない神霊界の夜明けを迎えようとしていたのである。
時節を同じくして、物質文明も日本は鎖国(夜)から開国(朝)を迎え様として西洋文明を受け入れ始めていたのである。
ここに、表の現界と裏の神霊界は表裏一体と成らねばならない天地和合の経綸へと進むのである。
天の理(神の道)を説く中山美岐刀自と、地の理(先祖と人の道)を説く広池千九郎博士は、本来霊的には夫婦(天父と地母)の働きであったが、天理教(天理市)と最高道徳(千葉市)の別々の教団で御神業をされていた。
しかし、次なる進展は、一教団に天地結びの仕組がなされ、大本教に天父厳霊出口直刀自と地の母瑞霊出口王仁三郎聖師の厳瑞二神が霊の夫婦として揃われた。
天理教のお筆先に示されていた「天と地を夫婦造りて来たるでな」の預言が実現したのであった。
但し、日本に於けるこの四聖人は、変性男子(肉体は女で霊魂の働きは男)、変性女子(肉体は男で霊魂の働きは女)として出現されたが、それは次の段階へ進むための神仕組であり、ここに世界の四聖人と日本の四聖人との霊系が成り、霊統霊継ぎの下に八聖人が揃われた。
この八聖人を大夲神流れの八大龍王(八大流王)と称し、宗教時代の正守護神として、人類の霊魂救済に神命を果たされたのである。
神霊界の仕組を進めて来た大夲神流れを更に進展すべく、次なる二聖人が神勅により遣わされた。
9.自観明主《一代直霊魂》千葉県は鋸山にて、昭和6年6月15日霊界の夜昼転換の啓示を受け、霊の太陽が昇るを霊覚し、それを世に現わした聖人。お守りを授け、浄霊の神業による地上天国建設に着手。<世界救世教・御神書>
神霊の御名を「主神」と明さる。
10.宝観主光《二代直霊魂》兵庫県豊岡に昭和27年11月16日、大本教開祖出口直刀自よりの、ここが「大夲、大夲、大夲」の神霊界通信を受けて、立たれた聖人。主神教祖の確立、お守り(神魂)を授け、真の霊主体従の道を示し、明主様の意志を継ぐ。<光教会・金明霊学>
神霊の御名を「主神」と明さる。
※昭和46年1月8日十番目の宝観主光尊様御昇天と共に、天に十聖人揃い「一列すませて甘露台(神路代)」が神霊界に完成。その教祖・開祖を総称して「十聖神霊」と申されるのである。
大夲神流(惟神)=霊統霊継=皇統系図(尊称略)
(三)「ここが大夲 、大夲 、大夲 」(「神秘成物語 」)
池内一次(後の宝観主光尊)は明治28年6月6日兵庫県豊岡市塩津にて生まれ、14才にてキリスト教の洗礼を受ける。鍛冶職人として生計を立てるが不遇の中で暮らす。昭和23年10月、浄霊によって座骨神経痛が癒され、世界救世教の「御守り」を受け入信し、大阪府高槻の神聖教会に所属する。そして、キリスト再臨の偉大な教えと力(浄霊)に触れ,自宅を拠点として家業を捨て信仰活動一筋に生きる事を覚悟する。そして、神聖教会所属の豊岡市城上支部に50世帯位の信徒が集う様になり、昭和26年頃より霊がかりする者が現れる。その霊能者によって神の言霊が告げられるものの、その霊能者の扱いが判らなかった池内一次は、当時の霊がかり者が居た京都の五三教会に転属し審神者になる為の知識と経験を積む。昭和27年9月1日、霊能者茨木よし子の取次ぎによって、池内一次の本霊が豊岡市女代氏神(高皇産霊神)と知らされ、その後、昭和27年11月16日に「ここが大夲、大夲、大夲」と云う大本教開祖出口直刃自より重大神命が示される。茨木よし子の取次がれた霊視については、世界救世教教祖自観明主尊(岡田茂吉氏)より「茨木よし子の霊視は信用にたる」との御言霊も頂き、世界救世教の教団機関誌「地上天国」に昭和28年から翌29年にかけて茨木よし子の「霊視日誌」が連載されることとなる。
神秘成物語(抜粋)
(審神)私と言う者の使命
大本開祖出口直子様から始めて神界からの御便りを頂く大神秘の物語りを聞き実に驚いたのである。
欺して神秘の扉は開かれたのである。
観音様御出ましになって文字をお書きになる(1)(昼)昭和27年11月16日
教会の御神前にて御浄霊中(茨木霊視者)今日は何となく感じか違っていると云っていた、すると俄に辺りが明るくなり、心地も晴々として来たとのこと、以下其の時の霊視、御観音様が多勢の侍女達を従えて、静々と御出ましになった、不思議なことだと思っていると、侍女達は、筆を持っている者、紙を持っている者、硯を持っている者達であった、暫くすると、観音様に恭しく紙を差し出し、筆に墨汁を含ませて、差し出すのであった、御取りになって、紙は侍女が三、四人にて持っている、それにさらさらと文字をお書きになる、其の様は、丁度私(よし子)の手を持って書かせて頂いているかのように、観音様からは、書き難い逆書きで、筆を御運びになる、私(よし子)は読みやすく、筆の御運びを見るようである、実に優しい美しい御書体で、大きく何回も何回も御書きになる、
「大夲、大夲、大夲」
と繰り返し繰り返しお書きになる、一次これをどう解釈すれば良いのか、何分始めての事なので御尋ねした、綾部の大本教へ参拝せよとの事ですかと、其の時何も文字は示されずただ御顔を横に二、三回御振りになったとのこと、其の意味ではないことが判った、暫くしてお帰りになった、何の意味であろうかと、いろいろ後から考えて見たが判らなかった、
観音様今日も文字にて御知らせ(2)(昼)昭和27年11月17日
昨日と同じく御神前にて、御浄霊をしていると、またまた俄に明るくなって来て、観音様御出ましになった、昨日の様に侍女達はいなかった、今日は白光に輝く文字を御示しである、空間に文字が浮かんで光り輝いている、不思議なことの連続である、その文字は
「大夲、大夲、大夲の大光明如来様の御知らせ、大夲の神様、主の大神である、此れ皆管長に知らせよ」
と御示しになった、其の時私(一次)の後に大きな円光が現はれ、強い光りが四方八方を照らしている、目も眩むばかりであった、知らぬ間に私(一次)は、メシア教の雑誌地上天国の表紙に画かれた日之出観音様の御姿と変っていた、この御姿を拝する者は、誰も自然に頭が下がり合掌せずにはいられない、昨日と云い今日と言い、神秘なことばかりの御知らせである、御浄霊される人も、御光りを受ける人も、共に天国にいる心地だと思った。
文字にて示された如く大草管長に知らせよと云う事は、メシア教にとって重大問題のお知らせであると直感したのである、と同時に今後神様からの御知らせ、神界からの通信は始めに示された如く、一切が御筆先であることが判り、天理・大本の御筆先は、主の大神様であり大本の神様であり、観音様であらせられると云う事を 覚ることが出来たのである、そして日之出観音様は明主様であり主神様である、又地に御降りになれば国常立尊様である事をはっきりと覚らせて頂いたのである、けれども一次(私)の姿が知らぬ間に、日之出観音様に変わっていたと云う事は実に不思議なことであり、餘りに意外な大変な事であるから、どうなる事かと驚き、今後の霊視霊憑りには、一層の注意と極秘であることを察したのである、故に発表もせずにただ黙々と御神業に励むことを決意したのである。
茨木氏宅の感謝祭に於てまたまた御知らせになる(3)(夜)昭和27年11月18日
感謝祭は毎月十八日としていた、今日も同じく予定の通り夜の御参り終了して、家族一同信者と共に御浄霊をしていたのである、其の時教会の御神前にて御知らせのある時と同じく、辺りが明るくなって来て文字の御知らせである。
「人の人たる行ひ 火水土の大神」
といつもの如く白光輝く素晴らしい文字が見えてくる、それと同じに、私(一次)が中心となり、左側に出口聖師様、右側に澄子夫人御出ましになる、霊界の人と現界の者と一所に集って、記念写真を写しているように思はれた、然し唯の写真とは感じが違って、神々しい感じに打たれる、この時私(一次)が真中に見えたことは、聖師様と澄子様は、霊的の父であり母である事を、御示しになったのであろうかとフト思へた。
其れは明主様の御教へに、霊的に言うと、私(明主様)は直子様は父であり、聖師様は母になる・それで明主様は大本の子と云う霊的の繋がりがあると示されていたからである。すると私(一次)は、大本の御教祖から言うと孫に当り、明主様からは子と言う、霊線の繋がりのあることを、御示しになったのであろうかと思ったのである。実に神秘な神秘な事である。大本の御筆先にある「出口澄の総領の直霊(直系)(勅令)(神の御ことば)に渡る経綸に定まりてあるぞよ、この三代(孫)直霊が、世の元の水晶の胤であるぞよ」と示されてある。御神言の実現近きを示されたものであるとも考えたのである、何と言う重大事を御示しになるのであろうかと、深く深く考えさせられたのである、御神業に参加の決意をするとかせぬとかの小さな事を考えている時ではないと思った、又其の次の御知らせは、
「大本の神は依頼す、大光明如来様の御知らせ、大人となるには苦労がある、そなた大神の命ずる人である、天照大神の御取次ぎであるぞよ、大神の命により大命を果せよ」
と天女の如き御姿にて再び御出ましになって、さらさらと御書きになった、文字は白光眩ゆく燦々と輝くのである、この三回に御筆先の重要性と、御神意を覚れとの意味であると感ずるに至ったのである。
ミタビ(視た霊)(つまり霊視のこと)書き下されたのである。
此の時の霊視は、素鳴命様サッと御出ましになる、神には立派な飾りのある剣を御持ちになり、何か戦場にでも御出陣かと思われる勇ましい出立ちである、忽ち辺りが暗くなって来たかと思うと、黒龍の大群が命めがけて迫って行く、其の様は実に物凄いものである、命様は其れを巧みに左へ右へと薙ぎ倒される、黒龍は其れにも負けず、剣に喰ひさがり暴れ廻り、暫し大乱闘であったが、黒龍は彼方にパタリ此方にパタリと倒されて、遂に命は一匹も残らず大退治され給うたのである、暴れ狂う様は元の静けさに帰り、再び辺りは明るくなって夜が明けた様である、処が場面は一変して、御冠を御着けになった女神が御出ましになる、後方は総金箔で目も眩む様な立派な屏風が立て繞らされた大広間である、御側の女官達も多勢で御迎への様子である、丁度絵に見る龍宮城其のままと言ったように、着飾った女官達の美しさ、宛ら天然色の映画を眺めているようである、云い表わすことも出来ぬ、唯呆然とする情景であった、この様が暫くつづき、又場面が変わって来た、此度は海辺の景色である、海面に金波銀波を漂はせ、其の美しさ得も言はれず、夜明けの浜辺である、暫くすると遥か水平線上に、ポッカリと太陽が赤々と浮かび上がり、一寸、二寸、三寸と上へ上へ昇り、軈て大きな火の玉は燦然と輝き、強力なる光りを地上万物に注ぎ、尊い生命を恵ませ給う、日之出観音様を思ひ出すのであった、其の崇高なる大気に打たれ、自然に合掌する気持となって来る、其の時再び冠を御着けになった先程の女神は、多くの女官達を従え御出ましになった、丁度龍宮城から多くの女官達を従へて、愈々陸へ御上がりになったのであろうと思われる、御側の女官達の服装は、藤原時代と思われる優雅艶麗得も云はれず、ウットリとして眺め入るのみであった、天国とは此の様な所であろうかと思った、暫くすると場面はまた変ってしまった、夕暮れか夜明けかと思われる様なボンヤリとした明るさの所である、すると一人の貴品の高い御老婆(天理教か大本教の教祖のよう)が頭の髪を御下げにして、机に寄り添ひ何か書見をしつつ、何かお考えの御様子である、その瞬間にパット明るくなったと思うと、意外にも火焔は高く天をも焦す如く一面の大火災である、御老婆の御姿は、其の火焔に照らされ明々としてハッキリと見える、丁度右の手で頬杖をつき、目を閉じて深き物思ひに沈んでいらせられる御様子で、御淋しそうな御姿である、その様が暫くつづき、又場面が変ったのである、すると観音様御出ましになった、不思議なことには、常に御出ましの御姿とは違って、御手に鎌か手斧の様なものをお持ちになって、冷やかな面持ちで御立ちである、そして其の御姿のまま暫くつづき遂にお帰りになったのである今度の御知らせの様に、黒龍の退治やら大火災やらを、御見せ頂いた事は、やがて来るべき最後の審判や、キリストの唱へし火の洗霊を、御示しになったものであると感じたのである、此れが現在の霊界の情景であり、軈て現界に移写されるとしたら、世人の狼狽はどんなであろうか、思っただけでも体が寒くなるようである、又神世には残される者の方が少なく、幽世行きの多いい事を示されている、釈迦キリストの予言の近く現はれる事を覚らざるを得ないのである、殊に御老婆の悲しそうな御姿を思うと、此れを知らざる人々へ早くお知らせしなければ、信者の責任がすまないと思った。
大光明如来様の御知らせ(4)(朝)昭和27年11月19日
教会神前にて朝の御浄霊の時であった、文字にて御知らせ、教会御奉斎の大光明如来様からである、
「大光明如来様からの御知らせであるぞよ、それ皆一厘の違ひもないぞよ」
と御示しになった、場面は何と言い表わしてよいのやら、荘厳なまた美しい大広間である、天国では何々の間との名も付けられているのであろう、そんな処へ大本教御教祖が中心とならせ給い、左側に聖師様右側に澄子夫人此の御三方御出ましになった、皆御立ちである、その中心直子様の前に椅子に腰掛けて私(一次)がいるのである、丁度親子孫といった様な家族揃っての記念写真と思はれる、御姿からは御光りが放射されている、実に神秘なことである、暫くつづき次には又文字の御知らせである、
「大本の御用は終わりであるぞよ、主の神は御待ちであるぞよ、
大光明如来様も御待ちである、大夲のことはよく知っておいでになる、
祝福 直より、明主様へよろしく」
と御示しになった、此の時には燦々と輝く黄金の座像の千手観音様御出ましになった、
そして古風な建物荘厳なる本堂が見える、御観音様御鎮まりの御寺であろうと思はれた、座像の千手観音様は、自観叢書第四篇に御写真が載せられてある、明主様の左肩の上方に御写りである観音様である、此の御観音様こそ、主神様であり明主様であり、直子様であり大光明如来様であると覚らせて頂いたのである、大夲の主の大神の御化身にあらせ給うと云うことは、大夲の御用は終ったと示され、明主様によろしく、祝福、直よりとの御ことば、霊界から現界の救世主への通信である、其の御取り次は、私がしなければならん、孫の役であることの御示しであると感じたのである。
文字にての御知らせ (4)(夜)昭和27年11月19日
晩の御浄霊の時何だか体がいそいそとする、そうして自分(茨木よし子)の体を誰かが支へているような、軽くふわふわとして来たと言っていた、すると間もなく
「あやべ、あやべ、あやべ、大夲の御用は終わりであるぞよ、主の命により知らす、直子」
と御示しになったのである、餘りに大問題である、然も御教祖直子様からである、私(一次)が聞き流すような小さな事ではなく、最も重大なこと許りを、連日にわたり御知らせになることに驚き、愚念ではありますが、本守護神は誰方様でと、ここまで申したところ、
「国常立尊、うしとらの金神である」
と御示しになり、直に御姿を御見せになったのである、見上げる大身御座りであっても、普通人の立姿位、頭に冠を御着けで前に「大王」と印がはっきりと見え、絵に見る閻魔大王様そのままで、吃驚した、そして
「明主様へよろしく御伝えせよ」
と御示しになった、私(一次)責任の重大なる事を強く感じ、普通の信者では明主様には御面会が許されないので如何せんものと、誰が御伝え役をすればよいのですかとお尋ねしたのであった、
「まだ判らんのか、大神の命を早く伝えぬか、主の神の命であるぞ」
と御示しになって、大変な御立腹の御様子である、それで困った私(一次)も必ず伝え致しますと御答え申し上げた処直に御帰りになった、茨木(神懸り霊視者)氏もホッとしたと云っていた、今日迄の御知らせ(霊視)のこと、国常立尊様であり直子様であり、明主様であり、又大光明如来様であり御観音様であり皆主の大神主神であった事が明瞭になり、支部教会に御迎えの大光明如来様は、主神様明主様直子様であったことに気が附いたのである、そして神龍様の御額に芙蓉仙人様の御姿を拝することも、実に御神意の勿体なさを今更の如く深く深く感じたのである、然し私(一次)が此の重大任務を果させて頂くであろうか、と言う不安も起こるのであった、あやべの大本教信者が此れをどう思うであろうと次々と考えさせられる、
神界で認められた本部大夲は全世界で一箇所なのだから、発表は出来ず其の運びにせねばならず、私(一次)一人の頭の中は、幾筋もの考えが浮かんで来る、帰する所は霊主体従の本分を尽くすのみ、神の言葉に従って行けばよいのだ、頭は至極簡単になって来た、誰が何と言はうが神言に従うのみだ勇気を与え給えと念ずるのであった。
文字にての御知らせ (5)昭和27年11月20日
また今日も晩の御浄霊の時であった、昨日と同じ様に体(茨木よし子)がふわふわとする、何だか変になってきたと云い出した、私(一次)も数回の御知らせによって、直子様からの御知らせであると思ったので、何にも心配はいらぬ示されたまま知らせて頂けばよいのだと言っていた、今日は私(よし子)は手がふらふらして書けないから、見えた文字を言霊で申しますから書いて呉れと云うのである、御浄霊を止めて私(一次)が書き取った、
「大本教は、此の度の大祭にて任務終わり、教祖直子よりの頼みである、此の大祭が最後である、諸々の人々多く集ひ来たれども、大祭後は、筆先にて知らせたる如く、東より出でたる金龍の大化物により、救はれること間違ひなし、主神の命により明らかに知らす、天照大御神、大国主尊、大神の命により大奮闘である、大光明如来様大本信者をよろしく頼みます、大神様さようなら、直子」「明主様によろしく御伝え頼みます、大日本は神国なり、今に世界の人々が集ひ来る、其の日も近きようだ、直は嬉しくて嬉しくて涙が出るぞよ」
と宣べられて、胸に込み上げて来る感慨無量なる御姿であった、私(一次)は今日迄色々と御示し頂きました御礼を申し上げ、必ず御用が務まります様に御守護をお願ひし、取次ぎをなされし守護神(茨木氏の守護神)は誰方様でしょうかと御伺いしたのである、すると本人(茨木)が鉛筆を持ち片仮名文字にて次の如く御知らせであった。
「ヤマトタケルノミコト、茨木ヨシ子ハ、オオカミノメイニヨリ、タイメイヲハタセヨ、イマワクロウナレドモ、ノチニワ主ノ大神ノ、ミムネニカナウゾヨ、カナラズカワイガラレル日モアルゾヨ、多賀秀三氏(メシヤ教五三中教会長)ニモ、ヨクヨクタノンデクダサレヨ、アシタイキマストキニ、カナラズタノミマス、直、主神ハ、マモナク直ノオネガイオ、オキキクダサルデアロウ」
と示しがあった、茨木氏の守護神は倭建命(日本武尊)(ヤマトタケルノミコト)と御知らせになった、神の御言霊は草薙剣の働きである神権の発動であると覚ったのである、つまり、明主様御教えの言霊神也である、右の文中多賀秀三氏との御言霊は、五三中教会で、我々の所属していた中教会である、神の第一回の多賀氏のテストである、正しきを正しきと認めるか、会長に審神の力があるや否を試みられたのである,丁度廿一日は篠山ささやま支部(高辻氏支部長)の月例祭であり私(一次)は御守様を支部まで頂きに行く約束になっていたのである、其の日に是非話との事は御急ぎのことと、中教会長の手を経て明主様へ伝達すべきであるからだと思った、此を会長が如何に取り扱うかが問題である,私(一次)は必ず其の様に致しますと御答え申し上げ、今日まで度々御出まし頂いて神秘なる神界の御都合を御聞かせ給はった事を、重ねて御礼を申し上げて、直子様と御別れ申したのである。
(四)大夲光之道の出現
大本教開祖出口直刃自よりの神霊界通信後、更に数々の通信に基づき、世界救世教教祖自観明主尊御昇天(昭和30年2月10日)後、「世界救世教より独立すべし」との自観明主尊からの神霊界通信により、世界救世教より独立し、同年3月1日に「光教会」を発足した。
昭和36年に池内一次(66才6ケ月)は「宝観主光」の神名を授かる。
宝観主光尊は大本の筆先に示されている金明霊覚を霊視・神言・審神と証され、永遠の主神教祖の道を開かれた。
光教会発足より15年を経た昭和46年1月8日に神霊界に御昇天される。宝観主光尊御昇天後、中心となる審神者が不在のまま、様々な霊能者が出入りし、霊能者が中心となり、本来審神者中心の主神教祖であるべき本教団が体主霊従化し、人間教祖の宗教に変わった。
昭和33年、大本教より光教会に入信し、昭和44年より一時教団を離れていた岡田年弘氏が、昭和50年10月21日、昭和天皇と宝観主光尊との神霊界会見の神夢によって呼び戻される。そして、金明霊覚(霊視・神言・審神)に基づく立替立直しを断行し、宝観主光尊御在世当時の主神教祖の惟神の大精神を復活させる。
金明霊覚を基に神魂を現わし、世の人民に魂本改神を訴え、人から神人への甦りを促す。
岡田年弘氏56才7ケ月の昭和55年4月5日に「大夲光之道」の神名が降下し、同年9月5日に岡田年弘氏には「宝観明鏡」(大審神者)と云う神命が降り、大審神者としての神命を果される。