タイトル

(一)天地創造

体系(たいけい)(かん)()産霊(むすび)之神の神策(しんさく)

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太初(たいしょ)、この世の初まりは、天も地も無く混沌(こんとん)とした「(みたま)」のみの世界に、天地創造の神勅(みことのり)は発せられた。

その時より、10億年の歳月を経て、泥水・泥海の(みたま)の世界から、軽いものは天に、重たいものは地に分離された。そして、その分離された地の球を(しゅう)()()(せい)する為に、主宰(しゅさい)(じん)として任命を受けたのが、国常立大神(くにとこたちおおかみ)と云う神命の神であった。(くに)(とこ)(たち)(おお)(かみ)を総大将として、その眷属(けんぞく)神霊(がみ)達の働きにより、更に、46億年と云う歳月を経て、地球は(しゅう)()()(せい)され、遂に山川(さんせん)草木(そうもく)禽獣虫魚(きんじゅうちゅうぎょ)に至るまでの生物が、生存でき得る環境が整えられた。

ここに於いて、初発の目的・地上天国建設の前段階へと神仕組は進展して行く事になる。

「天に成る如く 地に成らせ(たま)え!」と願う神心(かみこころ)は、神霊(かみ)の体として立つべく「人」を産み出し、万物の(おさ)として、地上現界の完成へと進められて行った。

地上現界は、神霊(しんれい)の世界と違い、物質世界である為に人は肉体を保護し、維持する「物」を必要とし、原始人の如き穴居(けっきょ)生活では地上天国とは言えず、その為に人をして人智によるところの物質発展の神仕組に着手する事になる。

これを「体系(たいけい)(かん)()(むす)()之神の神策(しんさく)」と言い、物質世界の岩戸開き、又は、第一の岩戸開きと言うのである。

霊系(れいけい)高皇(たかみ)産霊(むすび)之神の神策(しんさく)

神霊界の側から言えば、岩戸閉めとなり、地の主宰(しゅさい)(しん)国常立(くにとこたち)大神(おおかみ)とその妻神(さいじん)豊雲野大神(とよくもぬのおおかみ)は、日本国の東北(うしとら)西南(ひつじさる)にそれぞれ隠退(いんたい)し、陰陽道(おんみょうどう)(こよみ)等で云う処の「()(もん)」「(うら)()(もん)」の金神(こんじん)として陰に回わり、又、眷属(けんぞく)神霊(がみ)も種々雑多の仏名に名を変えて、人間を守る事にしたのである。

神霊界と現界を遮断(しゃだん)されし、人間「霊魂(れいこん)」の心の世界は、夜の暗闇となって真実を(いん)(ぺい)されたまま肉体心が中心となり、その結果、体的自己防衛心の増長は、弱肉強食の世界を現出し、強い者勝ちの(ちく)(しょう)(しゅ)()(どう)邁進(まいしん)する事となるのである。

その結果、目に視えた物質文明は神霊(かみ)神策(しんさく)通り、飛躍的に発展して行ったのである。時節は更に進み、物質世界完成の時期が近づくにつれて、元の親神(主宰神)・(こく)()(くに)(とこ)(たち)(おお)(かみ)は、再度(しん)霊界(れいかい)の岩戸を開いて「霊界」「現界」と境の無い「神人世(かみよ)」を築く為、その神仕組に着手する事になる。

これを第二の岩戸開きと言い、「国祖(こくそ)大神(おおかみ)三千年(さんぜんねん)の神仕組」と言うのである。

(二)十聖神霊(じゅっせいしんれい)大夲(おおもと)(かん)(なが)

人の幸せを物質の豊かさに求めて来たこれまでの時代は、人に備わった()(かん)(目・耳・鼻・舌・身)は外流の世界に向けられ、その結果「物質文明」と言われるまでに物質(もの)の世界は解明され発展した。

一方、人の内なる内流の世界(霊魂(たましい)の世界)は明かされぬまま神秘に閉ざされ、五官に触れ得ぬその世界は(からだ)内奥(ないおう)で眠った如き状態のまま来たのである。

しかし、その霊魂(たましい)が眠っていた夜の時代に大夲(おおもと)神霊(かみ)(全智全能の神霊(かみ))より神命(しんめい)を受け、時代に応じて国々に十人の聖人聖者を(つか)わされて、自己欲に暴走する人間の精神を抑制(よくせい)し、真理伝達を(かん)(なが)れに流し続けられたのである。

それは大夲(おおもと)神霊(かみ)の大精神を継承する流れであり、神命によりその流れの上に(つか)わされた聖人達を霊統(れいとう)者と言い、またその霊継(ひつぎ)の流れを大夲(おおもと)(かん)(なが)れと言うのである。

次に、その大夲(おおもと)(かん)(なが)れを順に記す。

大夲(おおもと)神霊(かみ)(全智全能の神霊(かみ)

1.(こう)()《人の道》人間社会において、人として本来あるべき倫理・道徳を説く為に中国に立たれた聖人。「(じん)()(れい)()(しん)(ちゅう)(こう)(てい)」の道を説く<儒教(じゅきょう)論語(ろんご)>。
神霊(かみ)御名(みな)を「天帝(てんてい)」と唱えらる。

2.釈迦(しゃか)《仏の道》人間の親たる先祖代々の恩と徳を(さと)す為にインドに立たれた聖人。肉体の消滅した後も尚「(れい)(こん)()(めつ)」なる仏界(霊界)の存在と、その大真理の法則を説く〈仏教・仏典〉。
神霊(かみ)御名(みな)を「大日(だいにち)如来(にょらい)阿弥陀(あみだ)観音(かんのん)」と唱えらる。

3.キリスト《神の道》人の世界、先祖の世界の奥に神霊(かみ)の世界が在ることを伝える為にナザレに立たれた聖者。(おお)()(ごころ)を「神は愛なり光なり」と説く<基督(キリスト)(きょう)・聖書>。
神霊(かみ)御名(みな)を「天父・主神・エホバ」と唱えらる。

4.マホメット《順序を正す》人の道・先祖の道・神の道の順で説いた逆順を、神の道・先祖の道・人の道に正す為にメッカに立たれた聖者。(もろ)()(つるぎ)とコーランを()って「神は順序なり」の正道に戻す(回教・コーラン)。
神霊(かみ)御名(みな)を「アッラー」と唱えらる。
※以上、世界の四聖人は、国も時代も異なるが、神霊(かみ)の世界においては霊的(つな)がりにより、夫々(それぞれ)の神命を大夲(おおもと)神霊(かみ)(全智全能の神霊)より受けて立たれた方々であり、その一人一人は駅伝走者が(たすき)を渡す如く、孔子が釈迦に、釈迦がキリストに、キリストがマホメットへと神霊(かみ)の御意志((たすき))を受け継がれて来た。
これを霊統(れいとう)霊継(ひつぎ)と言い、その聖人を霊統者(れいとうしゃ)と言う。
※一方、表の人間世界は、自己中心の競争意識により科学や医学などの進歩向上なされて、物質文明の繁栄が築かれて来たが、その裏面に於いては神霊界の光と神智が(かん)(なが)れに運ばれて来ていたのである。
人間は、目に見え、手に触れる五官にかかる表世界の向上は良く理解出来るが、目に見えない霊魂(たましい)の世界も共に進行(信仰)して来ていた事を知らなければならないのである。
※数千年の歳月を()て、(かん)(なが)れの仕組は、いよいよ元の親国(おやぐに)()(もと)「日本」に運ばれ来て、次なる(かん)(なが)れの霊継(ひつぎ)がなされたのである。

5.中山(なかやま)美岐(みき)《神の道》天保9年、神霊(かみ)の第一声を大和(やまと)(天理)の国において、神がかりにより天の(ことわり)を取次ぎ明かされた聖人。「このよふの ほんもとなるは どろのうみ もとなるかみは つきひさまなり」(天理おふでさきお歌より)神の大精神・大和(やまと)(たましい)を明かす<天理教・お筆先>。
神霊(かみ)御名(みな)を「(てん)()王命(おうのみこと)」と唱えらる。

6.広池(ひろいけ)()()(ろう)《先祖と人の道》人は全て霊長者たる品性(ひんせい)の向上を急務とする地の(ことわり)に基づく真理を説かれた聖人。先祖と人の両徳を説く<最高道徳(モラロジー)・広池論文>。
神霊(かみ)御名(みな)を「唯一(ゆいいつ)(しん)」と唱えらる。

7.出口(でぐち)(なお)《人民の改神》明治25年、(たん)()の国((あや)())において、神がかりにより国祖(こくそ)(おお)(かみ)の名を明かされた聖人(天父(てんちち)厳霊(いづみたま))。「三千世界一度に開く梅の花、(うしとら)金神(こんじん)の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ。・・・・・・」(明治25年御筆先より)
神霊(かみ)御名(みな)を「(うしとら)金神(こんじん)(こく)()国常(くにとこ)立尊(たちのみこと)」と明かさる。

8.出口(でぐち)王仁(おに)三郎(ざぶろう)《世の立替(たてかえ)立直(たてなおし)言霊神也(ことたまかみなり)に基づき、霊統霊継(れいとうひつぎ)万聖(ばんせい)(いっ)(けい)を明かし、世界の思想統一を説かれた聖人(()の母(はは)瑞霊(みづみたま))。神界の「日の出」を告げる<大本教・霊界物語>。
(ちの)(はは)神霊(かみ)御名(みな)を「(ひつじさる)金神(こんじん)(とよ)雲野(くもぬの)(みこと)」と明かさる。
※こうして、(こく)()(くに)(とこ)(たち)(おお)(かみ)の仕組まれた三千年の経綸(けいりん)も、その元の神名(しんめい)(あか)すと共に、幕末から明治時代に()(もと)・日本に運ばれて来た(かん)(なが)れは、目に見えない(しん)霊界(れいかい)の夜明けを迎えようとしていたのである。
時節を同じくして、物質文明も日本は()(こく)(夜)から開国(朝)を迎え様として西洋文明を受け入れ始めていたのである。
ここに、表の現界と裏の(しん)霊界(れいかい)は表裏一体と成らねばならない天地和合の経綸(けいりん)へと進むのである。
天の(ことわり)(神の道)を説く中山(なかやま)美岐(みき)刀自(とじ)と、地の(ことわり)(先祖と人の道)を説く広池(ひろいけ)()()(ろう)博士は、本来霊的には夫婦(天父(ちち)地母(はは))の働きであったが、天理教(天理市)と最高道徳(千葉市)の別々の教団で御神業をされていた。
しかし、次なる進展は、一教団に天地結びの仕組がなされ、大本教に天父(てんちち)厳霊(いづみたま)出口(でぐち)(なお)()()()の母(はは)瑞霊(みづみたま)出口(でぐち)王仁(おに)三郎(ざぶろう)聖師(せいし)厳瑞(いづみづ)二神(にしん)(みたま)の夫婦として(そろ)われた。
天理教のお筆先に示されていた「天と地を夫婦造りて来たるでな」の預言が実現したのであった。
但し、日本に於けるこの四聖人は、変性(へんしょう)男子(なんし)(肉体は女で霊魂(みたま)の働きは男)、変性(へんしょう)女子(にょし)(肉体は男で霊魂(みたま)の働きは女)として出現されたが、それは次の段階へ進むための神仕組であり、ここに世界の四聖人と日本の四聖人との霊系(むすび)が成り、霊統(れいとう)()()ぎの(もと)に八聖人が揃われた。
この八聖人を大夲(おおもと)(かん)(なが)れの(はち)(だい)(りゅう)(おう)(八大流王)と称し、宗教時代の(せい)(しゅ)()(しん)として、人類の霊魂(たましい)救済に神命(しんめい)を果たされたのである。
神霊界の仕組を進めて来た(おお)(もと)(かん)(なが)れを更に進展すべく、次なる二聖人が(しん)(ちょく)により(つか)わされた。

9.自観明主(じかんめいしゅ)《一代直霊魂(ちょくれいこん)》千葉県は鋸山(のこぎりやま)にて、昭和6年6月15日霊界の夜昼転換の啓示を受け、(みたま)の太陽が昇るを(れい)(かく)し、それを世に現わした聖人。お守りを授け、浄霊の神業(みわざ)による地上天国建設に着手。<世界救世(メシア)教・御神書>
神霊(かみ)御名(みな)を「主神」と明さる。

10.宝観主光(ほうかんしゅこう)《二代直霊魂(ちょくれいこん)》兵庫県豊岡に昭和27年11月16日、大本教開祖出口直()()よりの、ここが「大夲(おおもと)大夲(おおもと)大夲(おおもと)」の神霊界通信を受けて、立たれた聖人。主神教祖の確立、お守り(神魂(みたま))を授け、真の霊主体従(れいしゅたいじゅう)の道を示し、明主様の意志を()ぐ。<(ひかり)教会・金明(きんめい)霊学(れいがく)
神霊(かみ)御名(みな)を「主神」と明さる。

※昭和46年1月8日十番目の(ほう)(かん)(しゅ)(こう)(みこと)()(しょう)(てん)と共に、天に(じゅう)聖人(せいじん)(そろ)い「(いち)(れつ)すませて甘(かん)()(だい)(神路代)」が神霊界に完成。その教祖・開祖を総称して「十聖神霊(じゅっせいしんれい)」と申されるのである。

大夲(おおもと)神流(惟神)=霊統霊継=皇統系図(尊称略)

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(三)「ここが大夲(おおもと)大夲(おおもと)大夲(おおもと)」(「神秘成物語(しんぴなるものがたり)」)

池内一次(いけうちいちじ)(後の宝観主光尊(ほうかんしゅこうみこと))は明治28年6月6日兵庫県豊岡市塩津(とよおかししおつ)にて生まれ、14才にてキリスト教の洗礼を受ける。鍛冶(かじ)職人として生計を立てるが不遇の中で暮らす。昭和23年10月、浄霊(じょうれい)によって座骨神経痛が(いや)され、世界救世教の「御守り」を受け入信し、大阪府高槻(たかつき)神聖(しんせい)教会に所属する。そして、キリスト再臨の偉大な教えと力(浄霊)に触れ,自宅を拠点として家業を捨て信仰活動一筋に生きる事を覚悟する。そして、神聖教会所属の豊岡市城上(しろがみ)支部に50世帯位の信徒が集う様になり、昭和26年頃より霊がかりする者が現れる。その霊能者によって神の言霊(ことば)が告げられるものの、その霊能者の扱いが判らなかった池内一次は、当時の霊がかり者が居た京都の五三(いずのめ)教会に転属し審神(さにわ)者になる為の知識と経験を積む。昭和27年9月1日、霊能者茨木(いばらき)よし子の取次ぎによって、池内一次の本霊(ほんれい)が豊岡市女代(めしろ)氏神(うじがみ)高皇(たかみ)産霊(むすびの)(かみ))と知らされ、その後、昭和27年11月16日に「ここが大夲(おおもと)大夲(おおもと)大夲(おおもと)」と云う大本教開祖出口直刃自(とじ)より重大神命が示される。茨木(いばらき)よし子の取次がれた霊視(れいし)については、世界救世(メシア)教教祖自観明主尊(じかんめいしゅみこと)(岡田茂吉氏)より「茨木(いばらき)よし子の霊視(れいし)は信用にたる」との御言霊(みことば)も頂き、世界救世(メシア)教の教団機関誌「地上天国」に昭和28年から翌29年にかけて茨木(いばらき)よし子の「霊視(れいし)日誌」が連載されることとなる。

神秘(しんぴ)(なる)物語(ものがたり)(抜粋)

審神(さにわ))私と言う者の使命
大本開祖出口直子様から始めて神界からの御便りを頂く大神秘の物語りを聞き実に驚いたのである。
(かく)して神秘の扉は開かれたのである。

観音様御出ましになって文字をお書きになる(1)(昼)昭和27年11月16日

教会の御神前にて御浄霊中(茨木(いばらき)霊視(れいし)者)今日は何となく感じか違っていると云っていた、すると(にわか)に辺りが明るくなり、心地も晴々として来たとのこと、以下()の時の霊視(れいし)、御観音様が多勢の侍女達を従えて、静々と御出ましになった、不思議なことだと思っていると、侍女達は、筆を持っている者、紙を持っている者、(すずり)を持っている者達であった、(しばら)くすると、観音様に(うやうや)しく紙を差し出し、筆に墨汁を含ませて、差し出すのであった、御取りになって、紙は侍女が三、四人にて持っている、それにさらさらと文字をお書きになる、()の様は、丁度私(よし子)の手を持って書かせて頂いているかのように、観音様からは、書き難い(さか)書きで、筆を御運びになる、私(よし子)は読みやすく、筆の御運びを見るようである、(まこと)に優しい美しい御書体で、大きく何回も何回も御書きになる、

大夲(おおもと)大夲(おおもと)大夲(おおもと)

と繰り返し繰り返しお書きになる、一次これをどう解釈すれば良いのか、何分(なにぶん)始めての事なので御尋(おたず)ねした、綾部の大本教へ参拝せよとの事ですかと、()の時何も文字は示されずただ御顔を横に二、三回御振りになったとのこと、()の意味ではないことが判った、暫くしてお帰りになった、何の意味であろうかと、いろいろ後から考えて見たが判らなかった、

観音様今日も文字にて御知らせ(2)(昼)昭和27年11月17日

昨日と同じく御神前にて、御浄霊をしていると、またまた(にわか)に明るくなって来て、観音様御出ましになった、昨日の様に侍女達はいなかった、今日は白光に輝く文字を御示しである、空間に文字が浮かんで光り輝いている、不思議なことの連続である、その文字は

大夲(おおもと)大夲(おおもと)大夲(おおもと)大光明(だいこうみょう)如来(にょらい)(さま)の御知らせ、大夲(おおもと)の神様、主の大神である、()れ皆管長に知らせよ」

と御示しになった、()の時私(一次)の後に大きな円光が現はれ、強い光りが四方八方を照らしている、目も(くら)むばかりであった、知らぬ間に私(一次)は、メシア教の雑誌地上天国の表紙に画かれた日之出(ひので)観音(かんのん)(さま)の御姿と変っていた、この御姿を拝する者は、誰も自然に頭が下がり合掌せずにはいられない、昨日と云い今日と言い、神秘なことばかりの御知らせである、御浄霊される人も、御光りを受ける人も、共に天国にいる心地だと思った。

文字にて示された如く大草管長に知らせよと云う事は、メシア教にとって重大問題のお知らせであると直感したのである、と同時に今後神様からの御知らせ、神界からの通信は始めに示された如く、一切が御筆先であることが判り、天理・大本の御筆先は、主の大神様であり大本の神様であり、観音様であらせられると云う事を (さと)ることが出来たのである、そして日之出(ひので)観音(かんのん)(さま)は明主様であり主神様である、又地に御降りになれば国常立尊様である事をはっきりと(さと)らせて頂いたのである、けれども一次(私)の姿が知らぬ間に、日之出(ひので)観音(かんのん)(さま)に変わっていたと云う事は実に不思議なことであり、(あま)りに意外な大変な事であるから、どうなる事かと驚き、今後の霊視(れいし)霊憑(れいがか)りには、一層の注意と極秘であることを察したのである、故に発表もせずにただ黙々と御神業に励むことを決意したのである。

茨木(いばらき)氏宅の感謝祭に於てまたまた御知らせになる(3)(夜)昭和27年11月18日

感謝祭は毎月十八日としていた、今日も同じく予定の通り夜の御参り終了して、家族一同信者と共に御浄霊をしていたのである、()の時教会の御神前にて御知らせのある時と同じく、辺りが明るくなって来て文字の御知らせである。

「人の人たる行ひ 火水土の大神」

といつもの如く白光輝く素晴らしい文字が見えてくる、それと同じに、私(一次)が中心となり、左側に出口聖師様、右側に澄子夫人御出ましになる、霊界の人と現界の者と一所に集って、記念写真を写しているように思はれた、(しか)し唯の写真とは感じが違って、神々(こうごう)しい感じに打たれる、この時私(一次)が真中に見えたことは、聖師様と澄子様は、霊的の父であり母である事を、御示しになったのであろうかとフト思へた。

()れは明主様の御教へに、霊的に言うと、私(明主様)は直子様は父であり、聖師様は母になる・それで明主様は大本の子と云う霊的の繋がりがあると示されていたからである。すると私(一次)は、大本の御教祖から言うと孫に当り、明主様からは子と言う、霊線の繋がりのあることを、御示しになったのであろうかと思ったのである。実に神秘な神秘な事である。大本の御筆先にある「出口(でぐち)(すみ)総領(そうりょう)直霊(ちょくれい)(直系)(勅令(ちょくれい))(神の御ことば)に渡る経綸に定まりてあるぞよ、この三代(孫)直霊(ちょくれい)が、世の元の水晶の(たね)であるぞよ」と示されてある。御神言(しんげん)の実現近きを示されたものであるとも考えたのである、何と言う重大事を御示しになるのであろうかと、深く深く考えさせられたのである、御神業に参加の決意をするとかせぬとかの小さな事を考えている時ではないと思った、又()の次の御知らせは、

「大本の神は依頼す、大光明(だいこうみょう)如来(にょらい)(さま)の御知らせ、大人となるには苦労がある、そなた大神の命ずる人である、天照大神の御取次ぎであるぞよ、大神の命により大命を果せよ」

と天女の如き御姿にて再び御出ましになって、さらさらと御書きになった、文字は白光(まば)ゆく燦々(さんさん)と輝くのである、この三回に御筆先の重要性と、御神意を(さと)れとの意味であると感ずるに至ったのである。

ミタビ(()())(つまり霊視(れいし)のこと)書き下されたのである。

()の時の霊視(れいし)は、()(さのうの)(みこと)(さま)サッと御出ましになる、()には立派な飾りのある剣を御持ちになり、何か戦場にでも御出陣かと思われる勇ましい出立ちである、(たちま)ち辺りが暗くなって来たかと思うと、黒龍の大群が(みこと)めがけて迫って行く、()の様は実に物凄いものである、(みこと)様は()れを巧みに左へ右へと()ぎ倒される、黒龍は()れにも負けず、剣に()ひさがり暴れ(まわ)り、(しば)し大乱闘であったが、黒龍は彼方(かなた)にパタリ此方(こなた)にパタリと倒されて、遂に(みこと)は一匹も残らず大退治され給うたのである、暴れ狂う様は元の静けさに帰り、再び辺りは明るくなって夜が明けた様である、処が場面は一変して、御冠を御着けになった女神が御出ましになる、後方は総金箔で目も(くら)む様な立派な屏風(びょうぶ)が立て(めぐ)らされた大広間である、御側の女官達も多勢(おおぜい)で御迎への様子である、丁度絵に見る龍宮城()のままと言ったように、着飾った女官達の美しさ、(さながら)ら天然色の映画を眺めているようである、云い表わすことも出来ぬ、唯呆然(ただぼうぜん)とする情景であった、この(さま)が暫くつづき、又場面が変わって来た、此度(このたび)は海辺の景色である、海面に金波銀波を漂はせ、()の美しさ得も言はれず、夜明けの浜辺である、暫くすると(はる)か水平線上に、ポッカリと太陽が赤々と浮かび上がり、一寸、二寸、三寸と上へ上へ昇り、(やが)て大きな火の玉は燦然(さんぜん)と輝き、強力なる光りを地上万物に注ぎ、尊い生命を恵ませ給う、日之出(ひので)観音様を思ひ出すのであった、()の崇高なる大気に打たれ、自然に合掌する気持となって来る、()の時再び(かんむり)を御着けになった先程の女神は、多くの女官達を従え御出ましになった、丁度龍宮城から多くの女官達を従へて、愈々(いよいよ)陸へ御上がりになったのであろうと思われる、御側の女官達の服装は、藤原時代と思われる優雅(ゆうが)艶麗(えんれい)()も云はれず、ウットリとして眺め入るのみであった、天国とは()の様な所であろうかと思った、暫くすると場面はまた変ってしまった、夕暮れか夜明けかと思われる様なボンヤリとした明るさの所である、すると一人の貴品の高い御老婆(天理教か大本教の教祖のよう)が頭の髪を御下げにして、机に寄り添ひ何か書見をしつつ、何かお考えの御様子である、その瞬間にパット明るくなったと思うと、意外にも火焔(かえん)は高く天をも(こが)す如く一面の大火災である、御老婆の御姿は、()の火焔に照らされ明々としてハッキリと見える、丁度右の手で頬杖をつき、目を閉じて深き物思ひに沈んでいらせられる御様子で、御淋しそうな御姿である、その様が暫くつづき、又場面が変ったのである、すると観音様御出ましになった、不思議なことには、常に御出ましの御姿とは違って、御手に鎌か手斧(ておの)の様なものをお持ちになって、冷やかな面持ちで御立ちである、そして()の御姿のまま暫くつづき(つい)にお帰りになったのである今度の御知らせの様に、黒龍の退治やら大火災やらを、御見せ頂いた事は、やがて来るべき最後の審判や、キリストの(とな)へし火の洗霊を、御示しになったものであると感じたのである、()れが現在の霊界の情景であり、(やが)て現界に移写(いしゃ)されるとしたら、世人の狼狽(ろうばい)はどんなであろうか、思っただけでも体が寒くなるようである、又神世には残される者の方が少なく、幽世(あのよ)行きの多いい事を示されている、釈迦キリストの予言の近く現はれる事を(さと)らざるを得ないのである、(こと)に御老婆の悲しそうな御姿を思うと、()れを知らざる人々へ早くお知らせしなければ、信者の責任がすまないと思った。

大光明如来様の御知らせ(4)(朝)昭和27年11月19日

教会神前にて朝の御浄霊の時であった、文字にて御知らせ、教会御奉斎の大光明(だいこうみょう)如来(にょらい)(さま)からである、

大光明(だいこうみょう)如来(にょらい)(さま)からの御知らせであるぞよ、それ皆一厘の違ひもないぞよ」

と御示しになった、場面は何と言い表わしてよいのやら、荘厳(そうごん)なまた美しい大広間である、天国では何々の間との名も付けられているのであろう、そんな処へ大本教御教祖が中心とならせ給い、左側に聖師様右側に澄子夫人()御三方(おさんかた)御出ましになった、皆御立ちである、その中心直子様の前に椅子に腰掛けて私(一次)がいるのである、丁度親子孫といった様な家族(そろ)っての記念写真と思はれる、御姿からは御光りが放射されている、実に神秘なことである、暫くつづき次には又文字の御知らせである、

「大本の御用は終わりであるぞよ、主の神は御待ちであるぞよ、
大光明如来様も御待ちである、大夲(おおもと)のことはよく知っておいでになる、
祝福 直より、明主様へよろしく」

と御示しになった、()の時には燦々(さんさん)と輝く黄金の座像の千手観音様御出ましになった、

そして古風な建物荘厳(そうごん)なる本堂が見える、御観音様御鎮(おしず)まりの御寺であろうと思はれた、座像の千手観音様は、自観(じかん)叢書(そうしょ)第四篇に御写真が載せられてある、明主様の左肩の上方に御写りである観音様である、()の御観音様こそ、主神様であり明主様であり、直子様であり大光明如来様であると(さと)らせて頂いたのである、大夲(おおもと)の主の大神の御化身(ごけしん)にあらせ給うと云うことは、大夲(おおもと)の御用は終ったと示され、明主様によろしく、祝福、直よりとの御ことば、霊界から現界の救世主への通信である、()の御取り次は、私がしなければならん、孫の役であることの御示しであると感じたのである。

文字にての御知らせ (4)(夜)昭和27年11月19日

晩の御浄霊の時何だか体がいそいそとする、そうして自分(茨木(いばらき)よし子)の体を誰かが支へているような、軽くふわふわとして来たと言っていた、すると間もなく

「あやべ、あやべ、あやべ、大夲の御用は終わりであるぞよ、主の命により知らす、直子」

と御示しになったのである、(あま)りに大問題である、(しか)も御教祖直子様からである、私(一次)が聞き流すような小さな事ではなく、最も重大なこと(はか)りを、連日にわたり御知らせになることに驚き、愚念(ぐねん)ではありますが、本守護神(ほんしゅごしん)()(なた)様でと、ここまで申したところ、

国常(くにとこ)立尊(たちみこと)、うしとらの金神(こんじん)である」

と御示しになり、(ただち)に御姿を御見せになったのである、見上げる大身(だいしん)御座りであっても、普通人の立姿位、頭に冠を御着けで前に「大王」と(しるし)がはっきりと見え、絵に見る閻魔大(えんまだい)(おう)様そのままで、吃驚(びっくり)した、そして

「明主様へよろしく御伝えせよ」

と御示しになった、私(一次)責任の重大なる事を強く感じ、普通の信者では明主様には御面会が許されないので(いか)()せんものと、誰が御伝え役をすればよいのですかとお尋ねしたのであった、

「まだ判らんのか、大神の命を早く伝えぬか、主の神の命であるぞ」

と御示しになって、大変な御立腹の御様子である、それで困った私(一次)も必ず伝え致しますと御答え申し上げた処(ただち)に御帰りになった、茨木(いばらき)(神懸り霊視(れいし)者)氏もホッとしたと云っていた、今日迄の御知らせ(霊視(れいし))のこと、国常(くにとこ)立尊(たちみこと)様であり直子様であり、明主様であり、又大光明如来様であり御観音様であり皆主の大神主神であった事が明瞭(めいりょう)になり、支部教会に御迎えの大光明如来様は、主神様明主様直子様であったことに気が附いたのである、そして神龍(しんりゅう)様の御額に芙蓉(ふよう)仙人様の御姿を拝することも、実に御神意の勿体(もったい)なさを今更の如く深く深く感じたのである、(しか)し私(一次)が()の重大任務を果させて頂くであろうか、と言う不安も起こるのであった、あやべの大本教信者が()れをどう思うであろうと次々と考えさせられる、

神界で認められた本部大夲は全世界で一箇所なのだから、発表は出来ず()の運びにせねばならず、私(一次)一人の頭の中は、幾筋もの考えが浮かんで来る、帰する所は霊主体従の本分を尽くすのみ、神の言葉に従って行けばよいのだ、頭は至極簡単になって来た、誰が何と言はうが神言(しんげん)に従うのみだ勇気を与え給えと念ずるのであった。

文字にての御知らせ (5)昭和27年11月20日

また今日も晩の御浄霊の時であった、昨日と同じ様に体(茨木よし子)がふわふわとする、何だか変になってきたと云い出した、私(一次)も数回の御知らせによって、直子様からの御知らせであると思ったので、何にも心配はいらぬ示されたまま知らせて頂けばよいのだと言っていた、今日は私(よし子)は手がふらふらして書けないから、見えた文字を言霊(ことば)で申しますから書いて呉れと云うのである、御浄霊を止めて私(一次)が書き取った、

「大本教は、()の度の大祭にて任務終わり、教祖直子よりの頼みである、()の大祭が最後である、諸々の人々多く集ひ来たれども、大祭後は、筆先にて知らせたる如く、東より出でたる金龍の大化物により、救はれること間違ひなし、主神の命により明らかに知らす、天照大御神、大国主尊、大神の命により大奮闘である、大光明如来様大本信者をよろしく頼みます、大神様さようなら、直子」「明主様によろしく御伝え頼みます、大日本は神国なり、今に世界の人々が集ひ来る、()の日も近きようだ、直は(うれ)しくて(うれ)しくて涙が出るぞよ」

と宣べられて、胸に込み上げて来る感慨無量なる御姿であった、私(一次)は今日迄色々と御示し頂きました御礼を申し上げ、必ず御用が務まります様に御守護をお願ひし、取次ぎをなされし守護神(茨木(いばらき)氏の守護神)は()(なた)様でしょうかと御伺(おうかが)いしたのである、すると本人(茨木(いばらき))が鉛筆を持ち片仮名文字にて次の如く御知らせであった。

「ヤマトタケルノミコト、茨木(いばらき)ヨシ子ハ、オオカミノメイニヨリ、タイメイヲハタセヨ、イマワクロウナレドモ、ノチニワ()ノ大神ノ、ミムネニカナウゾヨ、カナラズカワイガラレル日モアルゾヨ、多賀秀三氏(メシヤ教五三(イズノメ)中教会長)ニモ、ヨクヨクタノンデクダサレヨ、アシタイキマストキニ、カナラズタノミマス、(なお)、主神ハ、マモナク(なお)ノオネガイオ、オキキクダサルデアロウ」

と示しがあった、茨木(いばらき)氏の守護神は(やまと)(たけるの)(みこと)(日本武尊)(ヤマトタケルノミコト)と御知らせになった、神の御言霊は(くさ)(なぎの)(つるぎ)の働きである神権(しんけん)の発動であると(さと)ったのである、つまり、明主様御教えの言霊神也(げんれいかみなり)である、右の文中多賀秀三氏との御言霊(みことば)は、五三(イズノメ)中教会で、我々の所属していた中教会である、神の第一回の多賀氏のテストである、正しきを正しきと認めるか、会長に審神(さにわ)の力があるや否を試みられたのである,丁度廿一日は篠山ささやま)支部(高辻氏支部長)の月例祭であり私(一次)は御守様を支部まで頂きに行く約束になっていたのである、()の日に是非(ぜひ)話との事は御急ぎのことと、中教会長の手を経て明主様へ伝達すべきであるからだと思った、此を会長が如何(いか)に取り扱うかが問題である,私(一次)は必ず()の様に致しますと御答え申し上げ、今日まで度々御出まし頂いて神秘なる神界の御都合を御聞かせ給はった事を、重ねて御礼を申し上げて、直子様と御別れ申したのである。

(四)大夲光之道の出現

大本教開祖出口直刃自(とじ)よりの神霊界通信後、更に数々の通信に基づき、世界救世(メシア)教教祖自観明主尊(じかんめいしゅみこと)御昇天(昭和30年2月10日)後、「世界救世(メシア)教より独立すべし」との自観明主尊からの(しん)霊界(れいかい)通信により、世界救世(メシア)教より独立し、同年3月1日に「光教会」を発足した。

昭和36年に池内一次(66才6ケ月)は「宝観主光(ほうかんしゅこう)」の神名(しんめい)を授かる。

宝観主光尊は大本の筆先に示されている金明霊覚(きんめいれいかく)霊視(れいし)神言(しんげん)審神(さにわ)(あか)され、永遠の主神教祖の道を開かれた。

光教会発足より15年を経た昭和46年1月8日に(しん)霊界(れいかい)に御昇天される。宝観主光尊御昇天後、中心となる審神(さにわ)(しゃ)が不在のまま、様々な霊能者が出入りし、霊能者が中心となり、本来審神(さにわ)(しゃ)中心の主神教祖であるべき本教団が体主霊従化し、人間教祖の宗教に変わった。

昭和33年、大本教より光教会に入信し、昭和44年より一時教団を離れていた岡田(おかだ)年弘(としひろ)氏が、昭和50年10月21日、昭和天皇と宝観主光尊との神霊界会見の神夢(しんむ)によって呼び戻される。そして、金明霊覚(きんめいれいかく)霊視(れいし)神言(しんげん)審神(さにわ))に基づく立替立直しを断行し、宝観主光尊御在世当時の主神教祖の惟神(かんながら)の大精神を復活させる。

金明霊覚(きんめいれいかく)を基に神魂(かみ)を現わし、世の人民に(こん)本改神(ぽんかいしん)を訴え、人から神人(しんじん)への(よみがえ)りを(うなが)す。

岡田年弘氏56才7ケ月の昭和55年4月5日に「大夲(おおもと)光之道」の神名が降下し、同年9月5日に岡田年弘氏には「宝観明鏡(ほうかんめいきょう)」((だい)審神(さにわ)(しゃ))と云う神命が降り、大審神(さにわ)者としての神命を果される。